東北大学

WINDNAUTS とは?

(とうほくだいがく ウィンドノーツ)

 

[創立]

東北大学 WINDNAUTS(ウィンドノーツ)は、鳥人間コンテスト出場を目指し、93年5月にたった3人の学部1年生により創立され、活動を始めました。しかし、スパンが20mほどの鳥人間コンテスト出場用滑空機を制作するには、かなりの広さの作業場が必要となりました。鳥人間コンテスト用の飛行機を制作するには、この作業場の確保というのが大変重要な課題となりますが、私たちは幸運にも航空機の専門家である東北大学流体科学研究所の小濱教授に顧問になっていただき、低乱風洞実験室の建物の一角を作業場としてお借りすることができました。(現在は、航空宇宙工学専攻の大林助教授に顧問になっていただいており、作業場は川内北キャンパスの学習室に移っております。)

[鳥人間コンテスト出場への大きな壁]

しかし、鳥人間コンテスト出場への壁は想像以上に高く、創立から4年間、私たちのチームは書類選考で落ちつづけてしまいました。

 94年の活動

94年の第18回鳥人間コンテストへは、スパン20m、低翼式の滑空機を設計し応募するが、書類選考で不合格となり、出鼻をくじかれる。その後、不合格になった滑空機は制作せず、新たに設計したプロペラ機の制作を始める。

 95年の活動

94年の書類選考不合格を考慮して、95年の第19回鳥人間コンテストの書類選考にはプロペラ機1機、滑空機3機を応募して数で勝負することにする。しかし、恐るべきことに全機とも不合格となる。同年秋まで、昨年からのプロペラ機を制作していたが、制作での技術的問題(技術がない!ということ)、材料の問題(その当時は、一次構造にアルミを多用していたため、かなりの重量になってしまう)からプロペラ機制作を断念。比較的容易?と考えていた滑空機の制作を始める。(→しかし、「滑空機の方が簡単そう」というのは大変甘い考えでした…)

 96年の活動

95年の「数で勝負だ!」作戦が失敗に終わってしまったため、96年の第20回鳥人間コンテストには、念入り?に設計した滑空機1機を応募。今回は、少しインチキっぽい空力計算や構造計算を載せた「設計書」も同封して、この滑空機1機にかける情熱をテレビ局側にアピールしたつもりではあったが…ポストに届いたのは、不合格と書かれたはがき一枚だけであった。その後は、懲りずに滑空機の制作を続けるがなかなか完成にはいたらなかった。 

 

 

[4度目にしてついに第21回鳥人間コンテストへ初出場]

97年の2月に日本テレビで開かれた「鳥人間コンテスト説明会」へ参加。各チームの方から書類選考についての質問が数多く出されていたが、その質問の答えの中で

「書類審査において、飛行の模様のビデオや細かな設計での計算が載った設計書は、応募されてくる図面の数が多いため、あまり目を通すことはできない。それよりも、一目でわかる写真をいっしょに送ったほうがアピールになる。とにかく出たい!というアピールをすることが重要。」

といったニュアンスのことを言っていたので、第21回鳥人間コンテストのおいては、私たちの作業風景が掲載されたチーム紹介パンフレットを同封、できる限りのチームアピールをし応募。4月下旬に、いつもの「不合格はがき」とは違う読売テレビからの大きな封筒がポストに入っており、ついに私たちは4回目の書類選考で初めて合格することができたわけです…。

 

[おまけ]

しかし、合格通知の後、読売テレビ側に「どうして今年は合格することができたのか?」とたずねたところ、「今まで不合格だったチームにもローテーションで出場させてあげたいため」という返事をいただきました…

結局、現在においても、どうやったら鳥人間コンテストに出られるのかはよくわからないままです。

  

 

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